日本地図

ルイ・ブリオン・ド・ラ・トゥール
「世界誌」
1780年頃   パリ
銅版画
この日本地図は18世紀フランスで編まれ、小型サイズでありながら大作となった地図帳「世界誌」(1770年−1802年)の第14巻目に収められたもので、ブリオン・ド・ラ・トゥールによって制作されました。

地理学情報は古来より国家秘密として扱われることが多く、ましてや遠い極東の情報は手に入れるのが大変難しいので、西洋で作られた日本地図の歴史というのはコピーの歴史とも言えます。 そして新情報がもたらされると、直ぐにそれに追従するもの、それまでのものと折衷するもの、無視するものなどが出て来ますが、それぞれの地図制作者の試行錯誤の跡が作られた地図に表れているので、その辺を見ていくのも地図鑑賞の醍醐味のひとつです。

日本地図制作史の一大潮流にモレイラ型というのがあり、その流れを汲みながら独自のスタイルを作ったジョルジュ・ルイ・ル・ルージュの日本地図(1748年)にこの地図は大変よく似ていますが、大きな違いはル・ルージュの地図ではほとんど表されていない北海道が大きく描かれています。 この部分は1750年にジル・ロベール・ド・ヴォーゴンディが作った大日本地図の北海道部分を採用しているようです。 この日本地図はル・ルージュとロベール・ド・ヴォーゴンディの地図を折衷したものと言えますが、結果としてそれまでには例のない地図になっています。

制作者のルイ・ブリオン・ド・ラ・トゥール(1756年−1823年)は王室付き地図製図技師という称号を与えられ、生前には沢山の地図を制作したにも関わらず、その生涯については不思議なことにほとんど分かっていません。

この地図が収められた「世界誌」は、クォート版(四つ折版)もあったようですが、ほとんどは小さなオクタボ版(八つ折版)でしたので、図版は何度か折りたたまれています。 また右上のマージン部分がカットされていますが、ここは折りたたんだ際に本に収納し難い部分なので、最初からこのようにカットして出版されました。 しかし額装でマットをあてれば上の写真のようになるので問題はありません。