楽園(エデンの園)のありか

ピエール・ダニエル・ユエ−ピエール・モルティエ
「聖書の名場面」
(1705年)1732年   アムステルダム
銅版画
カンにフランス初の地方アカデミーとなる物理アカデミーを設立し、当時最高の学者のひとりと言われたピエール・ダニエル・ユエ(1630年−1721年)は、アカデミー・フランセーズ会員であった1691年に奇書「楽園の場所について」を発表します。 楽園(エデンの園)の場所は古来より一般的な説では中近東、他には中国、アフリカ、アメリカ、極端な例では月の山脈、など諸説ありました。 ユエはチグリス川とユーフラテス川が合流してからペルシャ湾に流れる中間地点、現在のシャットゥルアラブ川流域にあったとしています。 この説はその後の定説として広まってゆきます。

この地図はフランス出身の地図制作者集団モルティエ一族の長、ピエール・モルティエ(1661年−1711年)が1705年に制作し、息子のコルネリス・モルティエがアムステルダムの版元ヨハン・コヴェンスと出版した「聖書の名場面」に収めたものです。 モルティエは、ユエの「楽園の場所について」に付された簡素な地図を大きく拡大して、一級の地図としても見応えのあるものにしました。 さらに旧約聖書の物語の場面を随所に配し、普通の地図にはない興味深い記述に溢れた地図に仕上げてあります。

左上のカルトゥーシュ部分。 エデンの園の地図らしく、左の木にリンゴをくわえた蛇が絡まっています。 

中央やや右の森のようになっている所が楽園(エデンの園)です。 エデンの園の右上に「創世記」3章の楽園を追われるアダムとイヴが小さく描かれています。 左下の群衆図は「出エジプト記」17章からの記述。 

中央下の都市は「創世記」11章のバベルの塔があるバビロンです。 左下の図は「民数記」22章から。 

「創世記」8章から、アララト山頂に辿り着いたノアの方舟。 

「創世記」「民数記」「申命記」「ヨシュア記」からの記述満載の賑やかな地域。