パリ市街図およびパノラマ図

ヨハン・バプティスト・ホーマン
「新地図帳」
1720年頃   ニュルンベルク
手彩色銅版画
18世紀ドイツを代表する地図製作者集団ホーマン一族の長ヨハン・バプティスト・ホーマン(1664年−1724年)によるパリの地図です。

ババリア地方で生まれたホーマンは当初イエズス会の学校で学びドミニコ会修道士を目指しましたが、後に新教に鞍替えし、ニュルンベルクに来て公証人の職を得ました。 その後ウィーンで数年間版画技術を学んだホーマンはニュルンベルクに戻り、1702年に自らの工房を設立します。 それからホーマンは精力的に次々と地図を製作して行きますが、極めて精密な彫版技術、寓意的な装飾性、鮮やかな彩色を持ったホーマンの地図は忽ち評判になり、遂には時の神聖ローマ帝国皇帝カール六世の目にも留まり、1715年には皇帝付き地図製作者に指名されるまでになりました。 同じ年にベルリン王立科学アカデミーの会員にも選出されます。 皇帝付き地図製作者になったことで、ホーマンは帝国の有する門外不出の地理学情報にも接する特権を得ることになり、ますます地図製作者としての権威を高めて行きました。 この地図はホーマンが皇帝付き地図製作者になってから作られた地図で、地図には特権を得て製作されたことの証「Cum Priviligio」と誇らしげに記されています。

古地図において都市の描き方としては、一般的な市街図、横から見たパノラマ図、上空から見た鳥瞰図などがあります。 このパリの地図は上部に市街図、下部にパノラマ図が配されており、ホーマンの地図ならではの装飾的な仕立てになっています。 パノラマ図は北側からパリを眺めたもので、一番手前に大きく描かれているのはアンリ四世創建のサン・ルイ病院、パリ市の城郭の向こうにはノートルダム寺院など背の高い建物が並び、奥にはセーヌがとうとうと流れています。 パノラマ図のお約束で建物には番号が振ってあり名前が分かるようになっております。 雄大なパノラマ図にファンが多いのも納得の地図です。

市街図部分の拡大図です。 

この時代にはこのような装飾は影を潜めてくるのですが、ホーマンの地図では、本来の古地図の魅力である装飾性の最後の輝きを放っています。 パリ市の紋章を持った女神、右の天使が持っているのはパンテオンのようなサクレクールのような。 

パノラマ図部分の拡大図です。 手前にサン・ルイ病院、左上にノートル・ダム大聖堂、右上奥にサン・ジェルマン・デ・プレ教会が見えます。 

シートの右下部分が少し欠けていますが、マットを掛けると全て隠れてしまうので、ダメージとは言えません。