人身御供の墓地(マヤ・アステカ文明)

アントワーヌ・フランソワ・プレヴォー・デクジル
「旅行記集成」
1747年−59年   パリ
銅版画
アントワーヌ・フランソワ・プレヴォー・デクジル(1697−1763)はベネディクト派の修道士でしたが、現在ではアベ・プレヴォーという名前で名作「マノン・レスコー」を著した小説家として有名です。 数奇な運命によってヨーロッパを流浪し、生涯に沢山の作品を残しましたが、その中でも毛色の変わっているのが、当時の探検旅行の情報を集めたこの「旅行記集成」です。 プレヴォーは翻訳家としても有能で、膨大な量の旅行記を翻訳、編纂して、この世界を股にかけた「旅行記集成」を作りました。

この版画は1754年に出版された12巻目に収められています。

マヤ・アステカ文明の宗教は終末信仰で、新鮮な心臓を神に捧げなければ太陽は消滅する、というものでした。 そのため生きた人間から心臓を摘出する儀式が日常的に行われ、膨大な数の生贄が発生しました。 この生贄のための墓所がその凄まじさを教えてくれます。

左下部分の拡大図です。 タライで頭蓋骨を洗っています。 頭蓋骨が建物の全面の壁にはめ込まれて美しくレイアウトされているのが凄いです。