ティコ・ブラーエのウラニボリ天文台 ヨハン・ブラウ 「大地図帳」 1658年 アムステルダム 手彩色銅版画 |
16世紀デンマークの大天文学者ティコ・ブラーエ(1546年−1601年)がデンマーク王フレゼリク二世の援助によりヴェン島に作った有名なウラニボリ天文台の1584年頃の様子を描いた版画です。 当時はまだ望遠鏡が無かったため、天体観測は肉眼で行われていました。 図に円形の大きなマンホールのようなものがありますが、この下が地下の観測室になっており、天井のドーム状の天窓を通して観測していたのです。 ブラーエは超新星、彗星を発見し、月より遠くでは何の変化も起きない、というそれまでの宇宙観に大変革を起こしました。 またブラーエは天動説と地動説を折衷した、太陽系惑星は太陽の周りを回っているが、太陽は地球の周りを回っているという説を唱えたことでも知られています。 ブラーエの最後の弟子にはケプラーの法則で有名なヨハネス・ケプラーがいます。 この版画を作った17世紀を代表する地図製作集団ブラウ一族のヨハン・ブラウ(1596年−1673年)の父親で一族の長だったウィレム・ブラウ(1571年−1638年)も1590年代にしばらくの間ブラーエの下で天文学と科学の勉強をしています。 1658年にヨハンは偉大なる父親とブラーエの業績に敬意を表し、この版画を作ったのです。 |
この下が地下の観測室です。 |
こういうのが無いと天文台には見えませんね。 |